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Pitschen Prinzi

日々のメモ

随筆(のようなもの)

高校・大学時代に書いてきたものがそこらじゅうにちらばっている
むかしのブログ、レポート、メモだとか
会報にのせるために頼まれた原稿だとか
キャリアセンターに提出した書類だとか、ESだとか
コミュニケーションについて論じた卒論だとか。
そういったものがdropboxやUSBに残されている
わたしの学生時代の足あと。

共通していることがある。
どこでもかしこでも「何かを伝えられる人間になりたい」と書いている
遡るに、AO入試で書いた2000字の書類がすべての始まりのようだ
だけどどこにも書いていない
「何を」伝えたかったのか。

自分のことについて書くことを思うとわくわくした
何も成し遂げていない人生のくせに
自分を伝えられるというのはうれしいことだった。

ずいぶんと鼻につく文章をみつけてしまった
たぶん19のころに書いたものだと思う
もっと視野を広く持つことはできなかったのか
自分の世界に入り込んでいる印象をうける。
そのあと世界はすこし広がったから
ちょっとはましになっていることを祈るばかりだ

残されている文章から伝わってくるのは
「自分のこと」ばかり。
結局あのころのわたしは
自分の思いを押し付けたかっただけなのではないか
人に影響を与えようだなんて

本来わたしは人に会って話をするのが好きだった
自分が見聞きしたこと
人が見聞きしたこと
いろいろ関連付けながら話していくのは楽しい

社会人になってから、人に会う機会がほとんどない
休日は不定期、夜は仕事、昼まで寝ている
自分の中に新しいことを取り込む機会がない
知識としては取り込んでいるが
体験していることがあまりに少ない
取り込むことがないと話せることもない
仕事のせいではない
仕事のせいにしている自分のせいだと知ってはいる

無理矢理外に出てでも
新しいことを吸収していかなければと思う
人の話を聞くばかり
楽しませることもできない。

何も考えていないような学生だったけど
毎日取り込むことだけはあったから
それなりの自分を形成できていた
いまは自分という人間が
何を楽しみに生きているのかがわからない

生きている
そうか生きているんだとたまに実感して
Twitterでつぶやいてみたりする
「生きているんだ」と

人に影響を与える人間になりたかったのか?
少なくとも
人に何かを薦められる人間にはなりたかったはずだ
いろんな視野を提供できる人間になりたかったはずだ
そのためには自分が消化していかなきゃいけないのだと
いつのまにか忘れていたのか
だから生きていることを忘れたのか
それは感情を失うことに等しい

人生と仕事を結びつけて考えた
そうやって就活をした
それは間違っていなかったはずだ
少なくとも3年目の今はまだ。

今の仕事を選んだことは
自分にとって本当にいいことだったと思う
だからこそ仕事のせいにはしたくない
これは自分のひとつのベースだ

たとえ自分のことしか伝えられないような
そんなちっぽけな人間であっても
自分という存在をなくしてしまったら最後だ
そんなことを書き残すことしか
この人生でできなくても。