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Pitschen Prinzi

日々のメモ

むかしのこと

わたしは昔のことを思い出すのがすきだ
とくに好きなのは高校と大学時代
わけもなく楽しかったと思う
それはきっと責任もなにもなくて
自分自身を捉えきれてもいなかったから。

あの時代はもう2度と戻ってこない
いまからでも遅くないなんて慰めはウソだ
どんなにがんばったって
あのとき楽しかった以上にその楽しみ方はできない
それはあのころより大人の
またすこし違った楽しみ方になってしまう

懐古主義か?
それはちょっと違う

あのころが一番よかったと思ったら
人生はつまらなくなる一方だという
それは本当にそうだと思う
たとえば今がつまらなかった場合
この先はもっと楽しくなっていくと思えなかったら
生きていくのはとても大変だ

だからわたしはたぶん
まだ未来に希望を持っている
明日はきっと今日より明るいと思っている

(遠い将来のことは本当はあまり考えたくない、
日本の未来はそんなに明るいものじゃなさそうだから。
せいぜい平和に、あしたのごはんの心配をせずに
大切な人と手をつないでお散歩できる未来がくればいいな)

そのときその瞬間を
せいいっぱいたのしめる人間であれたらと思う
だけどテンションの低い人間でもある
低空飛行でいることが自分にとっていちばん楽しい、
そんな日だってある。

はしゃいでる自分も
ただ存在するだけの自分も
その時々でそれなりに楽しんでいるのだから
あの時は楽しかったとか
そういうことを思い返すのは懐古主義じゃない

過去をなつかしむことは大切だ
その過去が今のわたしを形づくっている
過去の自分をうらやむのも結構なこと
むかしの自分に学ぶことはたくさんある。

先日ふしぎに思ったこと
大人はなぜ子供のきもちがわからないのだろう?
わたしだって子供だったことがあったのに
それはいまを生きてしまうから
あの頃にはもどりたくても戻れない

昔のことなんてどんどん忘れる
だから戻れる時には戻れる限り
記憶のかぎり巻き戻す
思い出は修正されてしまうから
美化されていたり、誇大化されていたりするもので
できるだけ公正であれたらいいけれど。

たとえば若い人たちに
じぶんの経験をはなす機会がある
こんな話役に立ちやしないだろうと思いながら
だけどわたしも先輩の経験は聞きたいと思いながら
そんなところに生じる自己矛盾
自分が思うほど相手は重く考えちゃいない。

じぶんの都合のいいように修正された記憶を抱えて
生きていくことは自己満足では?
自分が生きていることで
社会に影響を与えたいなんて驕りだと思う

いろんな歌詞にもあるとおり
「自分がいなくても世界はまわってく」
だけどいまこの瞬間には
自分はここにしかいないんだな

(今より)若かった頃はよかったなあと思うけど
ずっと若いままでいたいかといったらそうじゃない
歳をとっていくことは楽しいことのはずだ
明日のわたしは昨日のわたしより
ほんのすこしだけモノをしっている
若いままでなんかいたくない。

こないだふと卒論の結論を思い出した
「我々のコミュニケーションの距離感は生涯かわらないだろう」
この先いろいろなサービスが出てきて
いつかついていけなくなる日がくる
でもそれはドロップアウトじゃない

無理してついていっても
結局わたしたちがいま上の人たちに感じているように
年代間のギャップは少なからず出てくる
そのギャップは無理に埋めるようなものじゃない
認めていける自分でいなければと思う。

時にむかしの自分を切り離したくて
ブログを変えることがある
むかしがどんなに楽しくても
決して固執していない証拠ではないだろうか
そんな行動に少なからずほっとしている

本当はいつだって
うしろばかり振り向いていないか不安に思っている
だけど定期的に振り返ることで
過去をだきしめてあげることをやめてはいけない。